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里見公園新聞

里見公園新聞 第80号 2012年4月23日  発行:木ノ内博道

花見と放射能
 4月8日(日)快晴。今年は桜の開花が遅れて、今が満開。多くの浮かれた人で賑わっているが、芝生がなく、土の上にシートを広げて盛り上がっている。
なにもこの時期に公園の工事をする必要もないだろうと思ったが、放射能に汚染された表面の芝をはぎ取ったのだと気がついた。掲示板には何箇所かで計測した放射能の値が記された紙が貼ってあった。
そう言えば、里見公園の下で江戸川に合流している坂川は柏の方を源流にするため、放射能値は異常に高いと聞いたことがある。
 目に見えない放射能は、見えないだけにその危険性もどうもピンとこない。芝をはぎ取ってどこにもって行ったのだろうか。一か所に集めれば集めるほど、そこの放射能の濃度は高くなるはずで、解決に至らない対応が馬鹿らしいし、そんな土の上で花見の宴というのも無粋な話である。

矢切りの渡しに定期バスの運行
 昨年のいつ頃だったか、車で矢切りの渡しの松戸側に停まっていたら、老人夫婦が途方に暮れていたので、京成国府台駅まで乗せてあげた。
 バス便でもあればもっと観光にも効果があるのに、と思っていたら、5月の連休を前にして4月28日から京成バスが松戸駅と結ぶ運行を始めると言う。週末と祝・休日に1日8往復。片道210円。
 市川市在住の私としては、京成国府台、JR市川駅とも結んでほしいと思う。

醤油のシルクロードとしての江戸川
 里見公園の展望台から東京方面を眺めていると、足下に江戸川の流れがある。最近、野田の醤油に興味があって調べている。江戸時代、あるいは近代に入ってからも、江戸川は生産地と消費地を結ぶ流通として活用された。古い写真などを見ても、帆船が何艘も行き来している。
 野田は銚子よりも地の利があって、醤油の生産が盛んだった。江戸川を利用して江戸に直結していた。それだけでなく、行徳の塩を野田に運ばれていった。行徳の製塩が盛んになった。そんな生産と消費を思うと、江戸川は醤油のシルクロードだったのではないかと思えてくる。
 市川広小路のところにも醤油工場があったと聞いたことがある。
 話は飛ぶが、野田は童謡「かごめかごめ」の発祥地だと言われている。つると亀がすべった、というあの歌である。これに関して国府台に上る坂の所にある国府神社縁起について書いてみたいと思っている。
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