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里見公園地図  里見公園航空写真 昭和22年 昭和38年
参考絵図 水戸佐倉道分間延絵図 江戸名所図会(総寧寺)
1〜5号 6〜10号 11号〜15号 16〜20号 21〜25号 26号〜30号 31〜35号 36〜40号 41〜45号 46〜50号
51号 52号 53号 54号 55号 56号 57号 58号 59号 60号 61号 62号 63号 64号 65号 66号 67号
  68号 69号 70号 71号 72号 73号 74号 75号 76号 77号 78号 79号 80号 81号 82号 83号 84号 
号外1号  web85号


公園の概要(5号)

昭和34年の里見公園あたり(12号)

昭和35年の里見公園あたり(13号)
里見公園の入り口あたり(8号)
展望台で(9号)
公園学というのがあってもいい(15号)
バラ広場の歴史(4号)
バラの見ごろ(23号)
じゅん菜池と里見公園(18号)
中学生の見た里見公園(19号)
富浦の里見公園に行ってみた(34号)
遊楽園のこと(48号)
Wikipediaの里見公園(61号)
里見公園の沿革(67号)
里見公園の考察(68号)
里見公園についての話題(68号)

里見公園の紅葉も格別(71号)
なんと、心霊スポットとして有名だった(50号)
プレイパークの開催(75号)
正門の陰に碑が(78号)
花見と放射能(80号)
案内板に間違いが(81号)
昭和22年・38年の里見公園写真(81号)


ダイヤモンドフジはいつまで見られるか(1号)
再びダイヤモンドフジ(3号)
今年のダイヤモンド富士(40号)
富士が大きく見えた(34号)
11月のダイヤモンドフジ(45号)
D富士の後日談(71号)
里見公園からのダイヤモンド富士(69号)


紫烟草舎のこと(38号)
続・紫烟草舎のこと(39号)
白秋の葛飾時代を書いた本など(39号)
続続・紫烟草舎のこと(39号)

千代二の句碑(40号)


里見茶屋で(2号)

羅漢の井について(13号)
続・羅漢の井(14号)
羅漢の井・もうひとつの縁起(17号)
羅漢の井の工事が終了(41号)


謎の建造物(49号)

陸軍の大井戸のこと(53号)


鐘掛けの松(3号)
物見の松(8号)
鐘が淵再考(15号)
不思議な鐘・鐘が淵(27号)
松のことからの連想(33号)


『我輩は猫である』の松の話(20号)
夏目漱石と岡本一平(20号)
水上勉と里見公園(21号)
夏目漱石 漢詩「鴻台2首」(22号)
再び漱石(28号)
「小説 太田道灌」を読んだ(42号)
永井荷風と国府台(51号)
文芸雑誌『真間』に書かれた国府台(51号)

山本有三の『波』(52号)
田山花袋の『朝』(52号)

北原白秋は国府台をデートしたか(60号)
江藤淳のこと(62号)
山本有三の『波』を読んだ(74号)
勝海舟と国府台(79号)

里見甫のこと(29号)
再び里見甫について(30号)
小説『里見義堯』を読む(28号)

里見八景園のこと(5号)

里見八景園のチラシ広告(6号)
再び里見八景園のこと(7号)
里見八景園の閉園理由(16号)
里見八景園のこと(48号)
里見八景園・スクラップブックから(その2)(70号)
里見八景園の巨大滑り台(71号)
里見八景園の工事・あるスクラップブックから(69号)
里見八景園・スクラップブックから(その4)(72号)
里見八景園アルバムから写真2点(72号)

里見公園に関する契約書(73号)
遊園地事業(74号)


「江戸」と国府台(24号)
江戸の俯瞰図(70号)
江戸幕府と総寧寺(22号)
総寧寺・考(その1)(44号)
総寧寺の下馬石(45号)
総寧寺・考(その2)(45号)
円朝の噺・総寧寺(46号)
円朝の噺・『八景隅田川』から(47号)
総寧寺移転について(47号)

江戸時代の総寧寺(83号)
幕末の国府台(83号)
総寧寺考
 ・格式の高い寺に庶民の墓はなかった(83号)



2つの国府台合戦(50号)

国府台の戦い(第2次)(55号)
『市川郷土読本』をみつけた(55号)
古代の国府台(64号)


明戸古墳の石棺(61号)
法皇塚古墳について(61号)

明戸古墳考(84号)


夜泣き石伝説について(24号)

「夜泣き石」伝説とは(25号)
「夜泣き石伝説」(25号)
群亡の碑(25号)
再び「夜泣き石」(26号)


国府台病院の歴史(31号)
続・国府台病院の歴史(32号)
国府台陸軍病院のこと(64号)
国府台陸軍病院のこと(2)(65号)
国立国府台病院の中に釣り堀があった?(66号)
陸軍病院で手紙を託された思い出(66号)
里見病室の名残り(66号)

国府台陸軍の変遷(54号)
里見公園の病室(54号)
陸軍と書いた石柱(54号)



近代の国府台(6号)
聞き取りの難しさ(8号)
昭和3年の市川(10号)
植草さんに聞く(10号)
続・植草さんの話(11号)
国府台の赤壁(53号)
朝鮮から徴用された人たち(57号)
市川・松戸時代の子山ホーム(57号)

東台開拓のパン工場と山崎製パン(59号)
昭和11年の国府台(49号)
「里見の郷」は山崎製パンの創業の頃から(75号)
山崎製パンの空き地が造成中(75号)
国府台の緑を守る動き(77号)
矢切りの渡しに定期バスの運行(80号)
醤油のシルクロードとしての江戸川(80号)
朝鮮から軍需工場に徴用(82号)
維新のある日(82号)

パウラスさんのこと(2号)

再びパウラスさんのこと(3号)
エーネ・パウラスさんのこと(9号)
緑を守ったのはパウラスさんか(11号)
パウラスさんと米軍の繋がり(12号)
エーネ・パウラス先生を探して(58号)
開拓者のパウラス先生の思い出(58号)
引き続きパウラス先生の思い出(59号)
パウラスさんと国府台の緑(78号)
エーネ・パウラスさんを
 知っている方に出会う
(web版85号)



3人地蔵(34号)
続・3人地蔵(35号)
下総国分寺の三体地蔵尊由来(35号)
三体地蔵の真実(56号)


式正織部流茶道(30号)

日本考古学研究所が国府台にあった(40号)



辻切りの行事について(36号)

続・国府台以外の辻切り(37号)
全国のワラの蛇(37号)
一般には「道切り」(37号)



高台と低地(17号)
続・高台と低地(18号)


ヴァナキュラーとは何か(48号)
ヴァナキュラーな領域(49号)



読者から(15号)
ちょっと寄り道(16号)
一中読書会の通信から(19号)
かどミュージアム都市づくり懇談会に参加して(22号)
『さざなみ情話』に描かれた江戸川(23号)
11月22日(金)(28号)
もみじが見ごろ(30号)
根本商店街について(33号)
市川が釣り宿のはじまり(41号)
不定期刊になってしまった(42号)
三宝寺池の黄金の鞍の話(43号)
土手でタンポポの雑種を見つけた(43号)
国府台の夕日とフジテレビ(43号)

真間の日本福音ルーテル市川教会のこと(47号)
「つぎはしの会」を発足(48号)
『真間の継橋が無くなった』(48号)
市長への目安箱に意見を出してみた(案内板)(76号)
野生のチャボ、その他生き物(81号)
つぎはしの会で聞いたこと(82号)
周辺の近況(83号)


東台開拓記念碑(60号)
中国分に競馬場ができたかも(60号)
今年から渡し船が中止(63号)
国府台保育園、母子ホーム取り壊し中(63号)


スカイツリーが西に(66号)

スカイツリーへの落日(72号)


田中さんの修士論文(73号)
料理旅館「鴻月」(73号)



パンフレット「昭和29年のいちかわ」(79号)


国府台城と総寧寺(号外号1号)
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