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里見公園新聞

里見公園新聞 第77号 2011年12月6日  発行:木ノ内博道


江戸川に近い、木立ちに守られた公園
■国府台の緑を守る動き
 緑豊かな国府台が戦争で免れたのはパウラスさんの力によるものではないか、という地域の人たちの意見については本紙2号で書いた。今回触れるのは1970年代の緑を守る運動についてである。
 1970年代に「市川ジャーナル」という新聞が発行されていた。それによると、無謀な宅地開発が進むなかで、反対運動に立ち上がった住民の手によって辛くも破壊されないで済んだというのである。何度か記事になっているが、19号(1972年6月10日)の「市川ジャーナル」をまず紹介しよう。
 「破壊される国府台の森」と見出しがついている。
 ――里見公園と江戸川にはさまれた国府台の森は、文字通り“市川の緑のシンボル”として、市民に親しまれており、ここにあるシイやタブノキの林は学術的にもすぐれたものだが、この森を伐採して、宅地を造成するという無謀な計画が進められていることが明らかになり、付近住民の強い反対を呼び起こしている。
 宅地計画が進められている場所は、国府台3丁目にある里見公園の北側の急斜面にあたり、市内でも残り少ない、緑地帯となっている。この付近は、江戸川のハイキング・コースにあたり、「野菊の墓」で名高い、矢切りの渡しも近くにあり、風致地区に指定されているところ。
 宅地を進めようとしているのは市内相之川946番地にある三井土地株式会社(荒川茂代表)で、すでに土地の買収を済ませておりここの緑を伐採して、斜面を切り崩し、約1万1千平方米の宅地を造成する計画になっている。
この計画に対し、付近住民は強く反発し“市川の緑を守ろう”と強力な反対運動を展開し始め、すでに請願署名運動が広く行われている。
市役所の都市計画課では「正式な書類としては受け取っていないが、計画についての話はあった。現在、周辺住民の同意書をとるように行政指導しているが、風致地区で環境が極めてよいところなので、宅造は思わしくない」と言っている。
なお、今回と同様の計画は、昭和44年3月にもあったが、住民の強い反対にあい、取り止められたいきさつがある。
                
 それから進展があったのは28号(1973年2月5日)の記事。
 ――“市川の緑のシンボル”として市民に親しまれている国府台の森を伐採して、宅地化しようという計画に反対した付近の住民は「自然環境を破壊するな」と市議会に請願をし、市議会もこれを採択していたが、市は財政上から単独で宅地予定地の買収はできないとして、県に対し「里見公園を含む宅地予定地周辺の環境保全をはかってほしい」と要望していた。
 そこで友納知事は、1月24日、この要望に答えるために市川市を訪れ、国府台の市立里見公園を視察した。
 現地を訪ねた知事は、失われつつある緑を見て驚いた様子で「市でぜひ宅地予定地を買収してほしい。そのさい県は、公園整備に関する内規によって一億円の範囲5割の補助をする。公園の県移管については、県立公園の場合、面積20ヘクタール以上という一応の基準があり、里見公園は狭いが由緒があるので、これにこだわらず宅造予定地の買収を終わった時点で考えたい」と、その意向を明らかにした。
 このため、早速、市川市は所有主との買収交渉に入ることとした。(以下略)
                
 こうして国府台の森は市で買収することになった。現在でも市川の緑を守る活動を続けている人はいるが、こうした努力があったことは徐々に忘れられていっている。
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