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里見公園新聞

里見公園新聞 第72号 2010年11月29日  発行:木ノ内博道

■スカイツリーへの落日
 今日、11月29日(月)の夕方に里見公園に行ってみたら、偶然にもスカイツリーへの落日を見ることができた。太陽の位置が高いのでまぶしい落日だった。
 11月8日がD富士で、21日目にスカイツリーへの落日が見られたと言うことは、冬至が過ぎてまた太陽が戻ってきて、2月3日がD富士だから、その21日前にスカイツリーの落日が見られると言うことになる。

里見八景園・スクラップブックから(その4)
 昭和8年10月21日の報国新聞にこんな記事がある。見出しは「絶景里見八景園を中心に目下係争中の真相暴露」。どうも穏当でない記事である。
――里見八景園へ佐々木氏が12万余円を投資しながら現在どうしてかくも没落したか? と言うに大正8、9年の好況期に亜鉛メッキでがぜん成り金になった佐々木氏は、たまたま国府台の兄喜太郎氏のもとに来て、総寧寺の窮状を聞き総寧寺の前住職安田弘善師に面会し、当時年500円位の収入にて寺院が朽ち果て、本堂の如きは屋根に4間四方の大穴が出来雨がもってもこれを修繕することも出来ぬ状態を訴えられ、さし当り三千円の必要に迫られていることを語られたので里見公園全部七千八百余坪(里見旅館を除く)を1カ年一千五百円也前納で借り受け、敷金一千五百円合わせて三千円也を契約と同時に渡し、公正証書にしておいたのであった、公園を借り入れた佐々木氏は、これに工事を施して東京の人士を吸引せんとして大工事に着手したのであった、この工事中、大正十二年の二月中旬頃国粋会員と称する暴力団が日本刀を携えて佐々木氏の代理、佐々木喜太郎氏の宅へ押し寄せて来た、そして『我々は同公園の一部を借りている太田久蔵、太田億蔵の両氏より依頼されたる者であるが、何故無断で専横なる振舞いにいずるか?』と居丈高になって詰問した、佐々木氏は安田住職が二重貸しをした事に初めて気がついたが後の祭りで追い付かず、是非なく膝詰め談判の結果、太田両氏の建物を六千円と借地権を大枚一万四千円で買収することとなり外に仲介料として一千三百八十円その他、なんだかんだだと因縁をつけられ五千円余を費消したのである、その後寺の境内にある建物(富士見)を六千円、旅館里見園を四千百五十円で買収し、その他工事費鳥獣買収費等を合算して都合十二万余円を投じてしまったのである(つづく)。
                                   
 内幕記事で、読んで気持ちのいいものではないが、八景園開設の事情や、なにより公園内に建物がすでにあったことなどが知れる。総寧寺の台所事情も、これを鵜呑みにするわけではないが十分想像できる。

里見八景園アルバムから写真2点

佐々木氏宅とプール

ペリカン、アザラシ、ホロホロ鳥、猿などの小屋

 いずれの写真も市川市歴史博物館からご提供いただいたもの。以前にも触れたが、水に乏しい台地にプールがあるのはなにか曰くがありそう。
 里見八景園には多くの鳥獣が飼われていて人気だったが、えさ代がバカにならなかったという。
 前号でもコメントを引用させていただいた植草さんによると、廃園後もこうした檻はそのまま残っていて、子どもの頃はここでよく遊んだと話していた。
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