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里見公園新聞

里見公園新聞 第70号 2010年11月20日  発行:木ノ内博道

江戸の俯瞰図
 江戸時代後期に江戸の町を俯瞰した絵を描くことが流行となる。どの説明にも「江戸の町を現実にこの視座から見下ろせる高所は存在せず」とあり、最近はそのイメージがスカイツリーからなら実現できる、として話題になっている。
 私の勘によれば、これは国府台からの江戸の町と富士山の風景である。里見公園からの、と言いたいところだが、残念ながら富士山と江戸城の関係が僅かにずれている。

再刻江戸名所之絵 けい斎の「江戸名所之絵」を孫のけい林が忠実に模写し版行したもの。
江戸一目図 英三雅画(本館蔵) これもけい斎の「江戸名所之絵」の模倣作。同様の作に歌川国盛の弘化期の図もある。

里見八景園・スクラップブックから(その2)
 前号に続いて大正14年4月23日(木)の読売新聞の記事を紹介しよう。
買収の噂の記事である。見出しには「大遊園里、里見公園 京成電気軌道株式会社で遂に買収か」とある。以下本文。
 「市川の城跡鴻の台里見公園の名刹総寧寺が財政上如何にも維持が出来なくなって止む無く東京の某寺に金三万円で手放すことになったと某紙は報じているが如何に維持困難の事実があったにせよ檀家及び関係方面の了解を得ざるに同寺住職が無断で売却することはあるまい、従って東京の某寺に売ると言うことは新聞紙の誤報であろう。
 乍然総寧寺を売ると言う噂は今に始まったことではない、既に三年前にもこの噂が専ら喧しくなった当時の里見公園主佐々木浅次郎氏及び各町会議員有志が京成電気軌道株式会社社長本多貞次郎氏を説いて大いに運動したことがあった。
 元来桜としても種類の多くあるのは近郊第一で加えるに古戦場としての遺跡も多く都人士の杖を曳くもの春より夏にかけて年々百万を計うという何というても京成電車の米櫃は市川鴻の台里見八景園を以て第一に指を屈すのである。
 於並其当時東京の某氏と総寧寺との売買契約が略決まりかけたのに驚いた市川町(3文字不明)る、東京から年々二百万人迎える市川町としてはどれほどこの人達の為に利益を得ているか説明するまでもない一方総寧寺に対する本多社長初め他の有力者は由緒あるこの国宝的堂宇が如何に朽廃するも些かの寄付を申し出する篤志家のないとは国宝保存の精神よりするも嘆かわしいわけである。
 然も震災後帝都のあらゆる古刹が灰滅して歴史上の参考として該古刹総寧寺を買い受け之を東京に移転するときは里見鴻園は遂にブルジョアの為め別荘地と化することで敢て喋喋する迄もない東京人を相手とする市川町の死活問題として果たして総寧寺が売られるべからざる(数行不明)」。
 総寧寺の財政問題が何度も浮上して、里見八景園の存在を脅かしている。それにしても昔の新聞の大言壮語はすごい。春から夏にかけて毎年100万人が来たと言う。それなら京成電鉄のドル箱であることも分かるが、俄かには信じられない。
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