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里見公園新聞

里見公園新聞 第55号 2009年8月10日(月) 発行:木ノ内博道


北条氏康(Wikipedia)
■国府台の戦い(第2次)
 50号に続いて『戦国合戦100選』から、第2次国府台の戦いを紹介する。
<国府台の戦い(第2次)>
 関東への勢力の拡大を目指した里見義弘、太田資正(道灌の子孫)らの連合軍が、相模(神奈川県)の戦国大名・北条氏康に敗れた戦い。
 この戦いは武田信玄と上杉謙信による同年の第5次の川中島の戦いともいささか関連がある。信玄と謙信は前年(永禄6年)から上野(群馬県)などへの出兵を繰り返した。そして、謙信は安房(千葉県南部)の戦国大名である義弘に密使を送り、信玄の背後を脅かして欲しいと依頼する。こういった状況の中で、義弘は永禄7年(1564)1月に行動を起こした。
 義弘は資正らを誘って下総国府台にまで兵を進める。なお、里見・太田方に属した太田康資は資正の一族だが、正室には氏康の娘を迎えていた。娘婿の離反に氏康は激怒し、上杉方による奇襲も恐れずに利根川(現在の江戸川)の対岸に陣取り、敵方を牽制する。布陣したのは1月5日という。双方の兵力は、里見・太田方は不明だが、後北条方は2万という大軍であったとされている。8日の日中、浅瀬を渡河した後北条方は、敵陣に奇襲を敢行した。しかし、これは康資や義弘の重臣・正木大膳らに見破られて失敗に終わる。
 里見・太田方は緒戦の勝利に満足し、その夜は酒宴を開いて味方をねぎらった。同じ頃、氏康は主力を率いて国府台を包囲する。翌日(9日)早朝、後北条方は国府台へ総攻撃を行った。油断していた里見・太田方の死傷者は5300にのぼった。勝利を収めた後北条方も死傷者3700を出したというから、激戦が長時間続いたことが窺える。
 破れた義弘は本国へ逃げ帰った。資正は居城・武蔵岩付城(さいたま市岩槻区)に戻ったところを氏綱に攻められ、常陸(茨城県)への亡命を余儀なくされている。

■『市川郷土読本』をみつけた
 昭和6年に市川小学校が生徒の副読本として発行した『市川郷土読本』は幻の本と思われていたが、市川中央図書館でその復刻本を見つけた。昭和62年発行とある。
 1冊だけかと思っていたら、上巻、中巻が発行されており、下巻は印刷にはまわったものの発行はされなかったという。中巻は謄写印刷である。年々厳しい状況に突入していく動きが3巻の印刷でうかがえる。
 さっそく1章を紹介しよう。
※      ※
1.懐かしき郷土
 市川の春は、いまが、桃の花盛りであった。小川のほとりには、若草が、青々とのびていた。
 麗らかな、よく晴れ渡った田園の1日である。町ではついぞ見かけない1人の青年画家が、さっきから熱心に、桃林の写生をしていた。7、8人の町の子供たちが、それを邪魔せぬように、背後から、そっと眺めていた。
 1枚の油絵が、ようやく描き上げられたときだった。突然町の子供の1人が、その画家に話しかけた。
「小父さんは、このへんに、初めて写生に来たの?」
 すると、青年画家は、にこにこしながら、答えた。
「そうだ。はじめてだよ」
「それじゃ、今度また、梨の花が咲く頃にくるといいですよ。とても、綺麗ですから」
 すると、ほかの子供たちも、負けない気で言い出した。
「それからね、苺がじきに熟して来ますから、それも写生にくるといいね」
「そんなこと言ったら、江戸川の景色もすてきだぜ」
「ね小父さん、僕は里見公園から、遠く秩父や足柄の山まで見渡される、葛飾平野をスケッチしたら、いいと思いますよ」
「僕ならね小父さん、お百姓さんが、一生懸命になって畑を耕してるところを描けば、きっといいだろうと思いますよ」
 こんな風に、町の子供たちが、元気よく、いかにも無邪気に、話してくれるのを聴いていた青年画家は、愉快になって思わず声を出して笑った。
「はははは。市川には、美しいところが、そんなにたくさんあるの?」
「ありますとも、いいところなら、いくらでもありますよ」
 1人の子供がこう言うと、ほかの子供は、又も負けぬ気で言った。
「だってね小父さん、市川は、日本一にいい所なんですよ」
「はははは、どうして日本一なの」と青年画家は、元気のよい子供たちを、いっそう愉快に思って、聞き返した。
「だってね。市川でできる梨はね、日本一においしいんです」
「そうだとも、市川でできる苺だって、野菜だって、日本一だぞ」
「それから、市川には、古い歴史の跡が、とても多いんですよ」
「僕は、お父さんから聴いたのだけれど、市川の人ほど樹木を大切にする人はないそうですよ。ことに昔から町にたくさんある松の樹などは、どんなことがあっても、伐らないんだって」
 子供たちが、めいめいに自慢をはじめたので、青年画家はますます面白く思って、
「でも君達は、自分の町ばかり自慢にしているが、他の町や村にだって、いいところがあるよ」
 子供たちが、どんな返事をするかと、ためしに聞いてみたが、子供たちは、まごつくどころか、にこにこしながら、異口同音に元気よく、
「それは、僕たちだって、他の町や村のよいところを知っていますよ。でも、僕たちは、僕たちの町が、日本中で一番好きなんですもの。ね、小父さん、自分の郷土を愛するのなら、どんなに愛したっていいでしょう」
 実に、立派な返答なのに、青年画家はすっかり感心してしまった。
「いや、どうも、いろいろ教えてくれて、ありがとう。ではさようなら」
 と言って、無造作に写生箱の紐を肩にかけながら、愉快そうに去って行った。と、いつの間にか、この会話をかたわらで聞いていたお百姓の1人の老人が、すっかり喜んでしまって、町の子供たちをはげますように言った。
「えらいぞ、えらいぞ! 子供たち! よく言ってくれた。大きくなっても、その心持を忘れるでないぞ」
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