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里見公園新聞 第52号 2009年7月31日(金) 発行:木ノ内博道 |
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山本有三 |
田山花袋 |
■山本有三の『波』
山本有三の『波』(1928)という小説には、小学校の教員である主人公が子どもたちと遠足で市川に出かける場面がでてくる。
――まもなく汽車はイチカワについた。まずテコナの堂に参拝し、グボウ寺、練兵場、ソウネイ寺を過ぎて、コウノ台のサトミ公園に出た。老い松の幹をすいて、目の下をエド川がゆったりと流れていた。両岸に密生しているアシは新竹の色のように晴ればれした緑に輝いていた。そのために川の水は鉛いろにくすんで見えた。
公園をくだってクリ市の渡しに出た。それから広々としたエド川の川ベリを、かみのほうに歩いて行った。
イカダが3ぞう岸につないであった。矢がすりの模様のように、3つが互いちがいにつなぎ合わせてあった。――
この後、3体地蔵の事件を思わせる事件へと発展していく。ちなみに3体地蔵の事件は大正6年のことであり、『波』が朝日新聞に連載され始めたのは大正12年のことである。
■田山花袋の『朝』
田山花袋の『朝』という作品に上州から利根川を下って東京にいる息子に会いに来る一家の様子が沿岸の描写とともに書かれている。
――涼しくなった頃から、船頭は船を漕ぎ出した。もう海はさして遠くなかった。岸には芦萩や藻が繁って、夕日が汀を赤く染めた。
それに幸に追手の夕風が吹いた。船頭は帆を揚げて櫓をギイと鳴らして、暢気に煙草をふかした。誰の心にも船のように早く東京に向かって馳せて居た。
古戦場だといふ小高い崖の下を通る頃にはもう夕暮の薄暗い色が、広い川一面に蔽ひかかった。
東京に入って行く掘割は、それから一里ほど下った処にあった。―― |
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