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里見公園新聞

里見公園新聞 第63号 2010年6月8日 発行:木ノ内博道


里見公園の下、かつては杭を打った船着き場があった
■今年から渡し船が中止
 桜の季節になると、矢切りの渡しが里見公園の下まで来ていた。それが今年からなくなった。
国交省が係留施設を違法として撤去を求めたことで、運航をしていた矢切りの渡しの船頭さん(杉浦勉さん52)が中止を決めたということだ。
矢切りの渡しの東京側船着き場から里見公園下まで、桜の咲く3月末から5月ごろまで土日のみ運航していた。乗船料は片道500円だった。客の多い時には10往復くらいしていたという。
朝日新聞(2010年4月15日)には杉浦さんのコメントが紹介されている。一昔前の、このあたりを彷彿とさせるので紹介しよう。
 矢切りの渡しの東京側の柴又の土手はかつて桜並木があった。そこと、桜で有名な里見公園を結んで、以前は花見客でにぎわった。浦安のハゼ釣り船などに頼んで運航したこともあった。
杉浦さんは矢切りの渡しの船頭4代目で、昨年亡くなった3代目の正雄さん(勉さんのお父さん)が元気だったころは、花見の季節が終わると江戸川区の小岩菖蒲園にも渡し船を出していたという。
 船のことだから、事故が起きると問題だが、管理が厳しくなるのも、庶民としてはなんとなくさびしい。楽しみが少なくなる感じがする。
松戸市は観光の振興のために、矢切りからの路線の拡大を計画しているというが、相手は国。許可を得るには里見公園側の船着き場の新設が必要になる。市川市とも協議しなければならない。どうも行政の谷間で、再開は難しそうだ。


壊される国府台保育園
■国府台保育園、母子ホーム取り壊し中
 里見公園わきの国府台保育園と母子ホームが、今日から取り壊し始めた。建て替えとのことなので、どんな建物が新しく建つのか楽しみである。
 ここは、戦中までは陸軍の土地で、将校クラスの会議室があったと聞く。戦後間もなくは在日朝鮮人が不法に占拠していた。それをエーネ・パウラスさんが米軍の協力を得て奪還、福祉施設を作った。その経緯はすでに本紙で述べたが、引越しのなか『未来を愛する・希望を生きる――共拓型社会の創造をめざして』(るうてる法人会連合・編著)を見つけてお借りした。
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