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国府台は鴻之台?ヤマトタケルの伝説を訪ねる
木ノ内博道 |
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国府神社 |
スポーツセンターの敷地内 |
京成国府台駅から松戸方面に400メートルほど歩いて、国府台の坂にさしかかる手前にバス停「真間山下」があります。ここに急こう配の石段があって国府神社の鳥居が見えます。今回はこの国府神社と、スポーツセンター内にある六所神社跡を散歩コースに選びました。
もともと国府台はこの地に下総の国府が置かれて、それが由来で地名になったと言われていますが、また別のいわれがあります。御神体にコウノトリの嘴が祀られていて、国府台は鴻之台だと云うのです。
昔、ヤマトタケルが下総を平定して武蔵国に向かおうとした時、川の浅瀬が分からず渡ることができないでいるとコウノトリが降り立って浅瀬を教えてくれて、ヤマトタケルの軍勢は無事に川を渡ることができました。
そのお礼に下総の台地をコウノトリに授けた、というのです。
急な坂を登ると木立の間から江戸川が見え、その向こうには東京のビル群が見えます。この川を上がると醤油生産で有名な野田があります。醤油はその昔、行徳で作られた塩を船で運び、できた醤油をまた江戸川を下って江戸の町で消費されました。江戸川は言ってみれば醤油のシルクロードだったのです。
野田は「かごめ歌」の発祥地だと言われていますし、ヤマトタケルの伝説もあります。また、タケルは死んで白鳥になったという伝説があるほど鳥に関連があります。野田では「かごめ歌」のなかで囚われるツル、ここではコウノトリ。川が結んだ因縁を感じました。
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坂を登って、六所神社跡(下総総社跡)に移動してみます。
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六所神社というのは、国府の役人(国司)が本来であれば国内の有力神社を参拝しなければならないところを、それでは大変なので一か所にまとめて建てられた神社のことです。明治以降、軍用地になって神社は移転され、もともとの場所が曖昧になってしまいました。近年、発掘調査をしたところ神社を区画していた遺構が見つかったということです。千葉商科大学のなかには神社の参道が見つかり、史実の確認が進んでいます。
国府台の台地には古墳も多く、律令の時代には国府が置かれ、戦国時代には戦場になり、明治以降は陸軍の用地に、と国府台は歴史の「散歩道」として味わい深いものがあります。
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