TOPページへ 朝日新聞専売所Y・N・Cの折り込みミニコミ紙ご近所の散歩道≠謔閨@2011.7.10

民話を訪ねて・じゅん菜公園から里見公園へ
木ノ内博道

 市川・国府台一帯は戦国時代に合戦のあった場所で、戦いにまつわる悲しい民話が多く語り継がれています。今回はそうした民話をご紹介していきましょう。

じゅん菜池公園正面入口の右側にある「姫宮」

「夜泣き石」
 まず、国府台と国分の台地に挟まれた窪地にじゅん菜池があります。この公園正面入口の右側の木立ちの影に、ひっそりと祠があります。「姫宮」と言って、昔、国府台の合戦で敗れた里見軍の姫たちが、この沼に入水して死んだのを村の人たちが憐れんで、霊を慰めるために祀ったという言い伝えがあります。
 じゅん菜池公園から国府台病院を過ぎて里見公園に入ると、これも樹木に覆われた高台に「夜泣き石」があります。
 合戦で北条軍に敗れた里見軍は多くの戦死者を出しましたが、このとき、里見軍の武将里見弘次も戦死しました。弘次の末娘の姫は父の霊を弔うため、はるばる安房の国から国府台の戦場にたどりつきました。戦場跡の凄惨な情景を目にして、恐怖と悲しみに打ちひしがれ、傍らにあった石にもたれて泣き続け、ついに息たえてしまいました。ところが、それから毎夜のこと、この石から悲しい泣き声が聞こえるようになりました。そこで里人たちはこの石を「夜泣き石」と呼ぶようになりました。その後一人の武士が通りかかり、この哀れな姫の供養をしてからは、泣き声が聞こえなくなったと言います。
 そこから江戸川方面に急な石段を下りると、川岸に出ます。今は浅瀬になっていますが、以前は鐘ヶ淵と呼ばれ、川の流れが渦を巻いていたと言われています。鐘ヶ淵の岸に松の木があり、戦いの合図に打つ鐘がかかっていたので、その松は「鐘かけの松」と言われていました。戦に勝った北条の兵士が打っても鐘はいっこうに鳴りませんでした。戦に破れた足利の若様の乳母が、首だけでも持ち帰りたいと戦場に現れ、北条軍の兵士から「この鐘を鳴らしたらくれてやる」と言われ、乳母が撞いたところ大きな音がして鐘は淵に落ちて沈んでしまった、という言い伝えがあります。
 もう一度松戸に抜ける通りに出ると、田中酒店があります。この田中さんの庭にも祠があり、大きな松の根が祀られています。昭和9年の台風で鐘ヶ淵周辺の松の木が何本も倒れてしまいました。多くは国府台の兵舎にいた陸軍の兵士によって薪にされましたが、どうしても割れない木の根があり、それをもらってきて放置しておいたところ、家にさまざまな災いが起きました。有名な神通力をもつおばあさんにみてもらったところ、その松の木の根に若い由緒のある家柄の娘の姿が見える。里見家にゆかりのあるお姫様で、悲しみのあまり江戸川に身を投げたと言うのです。屋敷に祀ってくれたら家を守ると言うので懇ろに祀ったと田中酒店のおじいちゃん、田中謙一さんは話します。
 民話を訪ねて散歩をすると、その土地の古い歴史とそこに住む人たちの優しい心根が伝わってきます。
案内人:木ノ内博道 (資料:『じゅんさい池 今とむかし』『市川のむかし話』『里見公園新聞』)
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