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市川の梨『小枝地蔵』の由来

 関東の周辺には火山が多い。千葉県一帯はむかし富士山が噴火すると季節風で火山灰が流れてきた。それでできた土壌は強い酸性で、土中の鉄分がさびて赤い色をしていた。いわゆる関東ローム層である。酸性の土壌は、たとえば国府台で戦国時代に2度の合戦があって5千人もの人が死んだといわれているが骨はみな溶けて出土することはない。さらに水に恵まれない高台でもある。稲作に向かず、貧しい農民の暮らしを見かねて、江戸時代に川上善六という人が苦労をしてこの地に梨の栽培をもたらした。市川の梨はいま日本一の生産高を誇る。小枝地蔵のお話は、川上善六の子どもの頃の話である。(2011.7.17.木ノ内博道)


「川上善六爺さんの子どもの頃」

 冬の夜空に大きな月がでて、地上を照らしていました。街道に面して大きな樹が茂り、色濃く影を落としていました。樹のそばに藁ぶき屋根の家があり、板戸のすき間からわずかな灯が漏れていました。
 家の土間では源兵衛と妻のなつが藁仕事をしていました。藁を打つ槌の音がしていました。障子を閉めた隣の部屋では4つになる善六が寝ていました。と言っても眠ってはいませんでした。大きな目をあけて天井を眺めていました。そして、土間の方から聞こえてくる源兵衛となつの話し声を聞いていました。
 「今夜はばかに冷えるな」
 源兵衛が仕事の手を休めて独り言のように言いました。
 「ええ、こんなに冷えて大丈夫かしら、義三さん。さっきね、納屋に行ったら藁のなかに寝ていたの。びっくりしましたわ。今晩はこんなに寒いから家へ入れてあげましょうよ」
 なつが心配そうに言いました。
 「ああ、義三が寝ているのは俺も知っている。昨日も寝ていた。追い出すわけにもいかないから放っておいたのだが、なかに入れてやるわけにはいかないな。ひと晩泊めたら毎晩になってしまう。あいつに居候でもされたら大変だよ。それでなくても、俺たちが食うだけで精一杯だ。あいつが転がり込んできたら日干しになっちまう

 義三は子どもの頃にかかった病気で手足が不自由でした。それに両親も亡くなって、身寄りの者はいませんでした。農家の忙しい時にはどうにか手伝いの仕事もありましたが、冬には寝るところもない暮らしです。
                    
 翌朝、なつがかまどに火をおこしていると、義三がやってきました。
 「おはよう、お腹がすいているんでしょう」
 なつが言うと、
 「うん、腹は減っているが、それより善ちゃんにこれをもらったんだ」
 そう言って見せたのは夫の財布でした。なつが怪訝な顔で義三を見ると、義三はあわててどもりながら言いました。
 「いや、盗んだんじゃねえ。納屋で寝かせてもらっていたら、明け方に善ちゃんがな、やると言ってもって来たんだ。何度も断ったが置いていったんだ。かわいそうだ、と言うんだ。善ちゃんを叱らねえでやってくれ
                    
 源兵衛は土間で善六をぶちました。いまは子どもをぶつのはよくないことですが、当時はぶつこともあったのです。
 善六は泣きながら小さな犬のように転がりました。なつは間に入って、善六をかばいますが、なかなか守ることができません。
「なぜ、親の財布を盗ったりしたんだ」
と叱りますが、源兵衛は子どもに自分の財布を盗られたことが少し口惜しかったのかも知れません。
善六は泣きながら、
「お父ちゃんもお母ちゃんも言ってたよ、義三おじさんはかわいそうだって。かわいそうな人にお金をあげてどうして悪いの」
「だからと言って親の財布を盗るのは泥棒なんだぞ」
源兵衛はまた善六をぶちました。
なつは善六の言葉にはっとしました。
小さな子どもに、まだことの善悪は分かりません。かわいそうな人を助けてどうして悪いのでしょうか。源兵衛は人としての判断をしていますが、善六のしたことは、人間を超える判断のように思いました。

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