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Series
「雨の歌」をたずねて
Episode 1 「雨降りお月さん」 Episode 2 「アカシアの雨がやむとき」


Episode 1  「雨降りお月さん」  2011.10.9.
 最初は個人的なノスタルジーも含めて野口雨情の「雨降りお月さん」を取り上げてみたい。
 野口雨情作詞・中山晋平作曲で、歌詞が分からない、昔から気持ちに引っかかる歌だった。歌詞をみてみよう。

雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく

いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
お袖でお顔を 隠してる
お袖は濡れても 干しゃ乾く
雨降りお月さん 雲の蔭
お馬にゆられて 濡れてゆく

 1番では、お嫁に行くのに一人で傘(からかさ)をさしていく。傘のない時に誰と行くのか。鈴をつけた馬に乗って、濡れていくと言う。
 2番は、急がないと夜が明けるよ、と言う。嫁ぐ先に夜のうちに行かなければ、と焦っているようだ。他家を訪問するのだから、夜が明けてから着いた方がよさそうなものを。顔を隠している。涙で濡れているとは言っていないが、袖ならば干せば乾くと言っているから、乾かないものとして悲しさがあるのだろう。
 この歌、1番と2番ではメロディーが違う。当初は別々に作られた歌が、レコードにする時ひとつの歌として吹き込まれたものだと言う。1番は「雨降りお月さん」、2番は「雲の蔭」。
 雨が降っているが、その雲の上のお月さまに関心が寄せられている。どうも意味の分からない歌だ。
 雨の歌と言う前に、作詞家の名前が雨の情け(雨情)と言うのだから、こっちから調べてみないわけにはいかない。雨情の「情」と言う字、「心は月の主」と書く。作詞家の名前からして雨と月なのだから、意味の分からない歌だが、作詞家、雨情と関係の深そうな歌だと言うことは分かる。もっと深読みすれば雨情の「雨」は「あめ」だから天(あめ)をも意味する。「天の月は心の主」と言うのが雨情と言う詩人の真の意味かも知れない。
雨情の号は、中国の古文の中にある「雲根雨情」からとったもので、「春雨がしとしと降る優しさ」という意味。雨情自身も春の雨が好きだったらしい。
実際に最初の結婚は、栃木県から馬に乗って雨に濡れながら2日がかりで茨城県の雨情の家まで嫁いで来たという話があるから、それを歌にしたのかも知れないが、歌詞の意味にそれだけではないムードが漂っている。
 1番の歌詞が初めて発表された「コドモノクニ」には岡本帰一のカラーの挿絵が載っているが、馬の足の部分が雲に隠れたように描かれていて、どうも月に嫁ぐような絵だと言う人がいる。月に嫁ぐとは、死んで天国に昇る歌と解釈できる。かぐや姫の話を思い起こさせるような話だ。
 雨情の「しゃぼん玉」は、2歳半で亡くなった娘、恒子を想った歌だと言われている。屋根まで行かずに壊れて消えた。成長を果たすことができなかった、と。「雨降りお月さん」も同じ主題なのではないか。発表の少し前に恒子は亡くなっている。
 雨情にしてみれば、歌で恒子を、ひとりで傘(からかさ)をさして嫁入りをさせたかった。傘(からかさ)は破戒僧が寺から追放されるときでも傘(からかさ)一本だけは持っていくことが許されているのだと言う。何も持たせることのできない死出の旅路に傘(からかさ)を持たせてあげる。親のせつなさが伝わってくる。そして、傘(からかさ)がなければ、鈴をつけた馬にしようと言うのだ。
 花嫁のつけていた白無垢は死出の旅路に雨情が着せてあげた白装束だった。娘が月に嫁ぐのに、夜が明けてしまっては、太陽の明るさで月が見えなくなってしまう。かぐや姫とはだいぶ趣が異なるが、連綿と続く月信仰と関係があるようだ。
 実は私も茨城県の出身で、雨情の住んでいた北茨城にはお月さま信仰があったと聞いている。
 別の深読みもできる。雨情の生きた時代は日清戦争と日露戦争の間。不安な世相を歌ったともとれる。天には月があるのに雲が遮っている。歌が不安な世相にフィットした。歌が庶民に支持されるのは、そうした時代の情感を表現していたからとも言える。



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